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serendipity

 投稿者:素浪人  投稿日:2014年 4月10日(木)16時42分14秒
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  「偶然の発見」と言われるが「選ばれた人」にしか機会は与えられない。
時として天は二物も三物も与える事があるのは歴史的な真実である。他方、
競争相手となる「選ばれざる人々」にとって、彼らは妬みの対象であり
その天与の身体が優れていれば優れている程、嫉妬の度合いも増す。
大多数の選ばれなかった人々のそのような行為は、明らかに逆恨みであり
敢えて言うなら「悪意なく、気付く事なく、無意識に」単に敵対する相手に
対してその存在を否定しようとする、いたって本能的な行為にすぎない。

第三者にとっては、単に話題の人とそれに関係する人々にすぎないが、
当事者にとっては、特に権威や名誉を重んじるAcademicな世界の人々や
更には屡、桁違いに多額な「お金」が動く現代バブル経済の象徴でもある
医療・薬品業界に於いては何よりも「金銭的」な取引が優先するのであり
様々な駆引きにより「技」を手に入れんが為に手段を選ばず攻撃がなされる。
蓋し
科学的(と言うより、今となっては正に「お化け」学的)な観点から鑑みて
first authorが改竄と取られる「未熟」で不手際な論文の記述とdataの編集
更に試料・dataの保存に亘る一連の問題があるとされる実験の管理に関して
その責任は単に一人のcorresponding authorのみならず author listに名を
連ねる全てのauthorにあり執筆を監督する上部の組織にも論理的に責任がある。
そもそも、
過去に金銭的な問題を起こしている人物をNobel Priserだからといってtopに
据えているような組織には問題がある。所詮「お金」目当てにcharacterを利用し
話題作りをしたのは明明白白であろう(それに飛びついた報道にも問題がある)。
知る人ぞ知る、大多数のAcademicの人々は研究費獲得に「ひいこら」喘いでおり
「銭」稼ぎの行いは科学の追求者と言うより寧ろpoliticianと類は同じである。
利用できる時は、これは使えると目一杯祭り上げておきながら、
都合が悪くなると梯子を外すという様な卑怯な輩の集団なのです。

自分に都合の良いように振る舞い、金を稼ぎ権力を手に入れ、事が起こると
なんとか責任を逃れようとする今の世の中は、
結局のところ「金」を持つ者が社会の勝者であり全てを支配するという、
近代資本主義と称して実体は「無責任」で勝手な「自由主義」により
不幸がもたらされているにすぎない社会である事が正に象現されているのである。
責任をとらない様に狡猾な行為をしているのにもかかわらず、相手が強い者だから
勝ち組で権力を持つ者だから従わざるをえないと黙認するのは不正への加担である。

西欧諸国に於いては中世から近代への移行の際には、
全ての人に無条件に「自由」が与えられ貴族主義から民主主義への転換に成功した
という歴史的事実があり、それはその時代で正しい選択であったと言えよう。
しかし現代においては、無条件に「自由」が与えられ、言換すれば
「勝手気まま、やりたい放題、したい放題」にされた結果、
合法であれば、法律に抵触しなければ何でもよいという事になっている。
どうみても「糞固」としか見えぬ物を芸術的オブジェだとして金権力を顕示する様な
輩が出現するに至っており、現実の世界は混乱と無秩序で混沌としている。

社会とは人間という生物が生存していくために形成している集合体であり
人々の生存を脅かし社会に背く行為・事物は社会に受け入れられるべきではない。
人々に危害をもたらす反社会的な物事や人々・集団は肯定されてはいけない。
たとえそれは宗教や信条といえども人類・社会を滅亡に導く物事は許してはいけない。
社会に責任をとらない社会的責任を取れない人々に自由を与えて社会を混乱させたり
人類・社会を滅亡に導く事は「社会」の存在を否定する「社会」の自己矛盾となる。
現代は、
主に自由主義を称している欧米諸国人々のもたらした優れた技術や革新的な発明により
日々の暮らしが便利に「楽」になり人々の寿命も延び、人類全体として発展している。
そのような「良い」事は自由を謳歌する事により齎されたのであるのは事実である。
しかし一方「格差社会」と言われる貧富の差の拡大、世界中での紛争の頻発も事実である。
これら負の遺産は、何からもたされたのか、実はその理由はとても簡単で明らかであろう。
あまりにも「自由」を追求しすぎた為、無条件に「自由」を与えすぎた結果、
無責任な人々が「自由」を手に入れ合法なら問題ないと危険な行動に走っているのである。

金持ちは余りある「金」をもとに更に一層金持ちになろうと「金融」と言うより
「金遊」に走り、その結果、特に先進国において経済的「格差」が生じているのです。
合法な範囲であれば、どの様に金を使っても良い、どんな取引をしても良い、
自分の金ならどの様に何に使っても良い、それが現代の金融至上主義なのです。
他方、社会的(多数の人々の普段の日常生活)に多大な影響をもたらしているにも拘わらず
無条件に与えられているのが宗教や信条であり、
それにより世界中で紛争がもたらされているのは事実であり、結果的に世界中の各地で
「僅かに」違うにすぎない主義主張により多数の人々が不幸にさらされているのが事実です。
(当人達が不幸と感じているかは全く別の次元の事ですが社会全体としては不幸な状態です。)

より分かりやすく説明しましょう
あなたは「気違い」に「刃物」を渡しますか!
社会に恐怖や混乱をもたらす反社会的な行為は許されてはいけません。
社会的な責任は取りたくない、けれど自由が束縛されるのは嫌だ
という事は正に「無責任」な行為で許されるべき事ではありません。
自由にしてくれ、無条件で自由を得るのは当然だ
というのは「我儘(わがまま)」なのであり、しばしば、勝者の論理とも言える
西欧社会の(勝者の側の立場にすぎない)正義の押し付けは「傲慢」にすぎない。
無責任な「気違い」に自由と称して「刃物」を渡し危険な社会になってもよい
責任をとるかどうかなど関係なく兎に角自由を優先し我が思うままに振舞いたい
というのであれば「無責任・自由主義」がもたらす不幸に不平を言う立場にはありません。
この現代の「気違いに刃物社会」をあなたは肯定するのでしょうか。
もちろん社会的責任を果たす事により日常の可也の行動に制約が付随するでしょう。
しかしその多くは例えば車の免許のようなものが大半であり、物事を正しく
使いこなせる(=責務を果たせる)人にのみ使用が許される(=自由が与えられる)
という事に収束されます。
これからの未来は「責任ある自由主義」であるべきです。
不幸や格差・差別をもたらしている「無責任・自由主義」社会は今はもう古いシステムなのです。
現代は19世紀の階級社会でありません。いつまでも「気違いに刃物社会」であってはなりません。

芸術品か糞固かというのは美的感覚の問題で何をもって美しいかは問えません。しかし、
都市の景観は明らかに社会の有り様を直接映す物事であり感性より理性の問題なのです。
尤も、「味噌も糞も」一緒という感性の持ち主には何の事か理解しえようないでしょう。
 
 
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